「恵まれている」が分からないという話
正直言って、僕は、「恵まれている」と思っています。
祖父母まではお金持ちの家でした。母親はそんな状況で育ちました。
僕が小学生3年生くらいのときまでは家もお金持ちでした。それからもまぁ普通にお金はありました。
小さいときから交友関係で特に困った記憶はありません。
毎年ちょっとずつ違った友達と遊んでいました。
勉強も、スポーツも、「まぁまぁ」できる子どもでした。
卒業文集の「国語ができる人」「理科ができる人」とかの2分野で1位に選んでもらってた気がします。
マラソン大会では学年1桁順位でしたし、リレーの選手として市の大会で決勝まで進んだこともありました。
「恵まれている」と言われても否定はできません。
正直僕は、いわゆる「何も取り柄がない人」の気持ちがわかりません。
正直、「努力すればなんだってできる」が真実だと思っています。
その一方で、僕は別の見方をすれば「恵まれていない」部類に入ってもいいんじゃないかと思っています。
僕の両親は僕が小4くらいのときに離婚して、その後母子家庭になりました。
僕は中2の終わりから1年強完全に不登校でした。
中学に行ってなかったこともあり、夜間高校に通って4年間働きながら勉強しました。
ほぼほぼ自分で勉強した結果でセンターを受け、受験して(地方底辺)公立大学に入りました。
母子家庭である我が家に貯金とかは多分ほぼなかったと思われるので、受験費用も入学金や学費、一人暮らしに使うための家具などのお金は高校のときに貯めた100万円ちょっとと奨学金で賄いました。
学校行かなかったのは自己責任ですし、それは環境面というより自分の弱さが原因でした。
自分の金で大学入ったと偉そうに言ってますが、2年弱父親に大学の生活費もらってましたし、今も母親に家賃等を払ってもらっています。
「恵まれていない」自慢をしたいわけではないんです。でも「与えられてきた」とは思いたくありません。
僕は「自分で勝ち取ってきた」と信じています。
結局何が言いたかったのか自分でも分からなくなってしまいました。
自分が運動それなりにできるのは、幼稚園のとき毎日外でリレーかドッヂボールをやっていたからだと思っています。
自分が勉強をそれなりにできるのは、子どもの時から人の話を聞くのが好き(得意?)で、授業とかも真面目に聞いていたからだと思っています。
それは親が用意してくれた「教育」の結果であったとも思います。
ただそれと同時に、「与えられた」という実感が正直そこまでないのです。
ただ自覚が足りないだけだとも思います。でもそんなに与えられたとも思っていないこの状況で、
本当に「何もできない人」に対して、僕はどうやって理解すれば良いのだろうと思ったのです。
うーん、「本当に何もできない人」なんて存在するんでしょうか?
僕の元々の能力を羨む人がいて、もちろん僕よりはるかにすごい人たちがたくさん存在していて。
そして僕よりはるかに低いところにいる(と思われる・思い込んでいる)人たちがいる。
その個人差とはなんなのかなと考えた深夜2時30分でした。